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『うたをつぐもの』〜うたわれるもの・続編・第三幕〜 トゥスクルへの道・思い出

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「んー、トラははたらきもの」

「ん?」

 終えた食事の片づけをしていると、ガチャタラと戯れている

アルルゥのつぶやきが聞こえてきた。感心するような声に少しだけ

唇が尖る。



「しょうがないだろう。誰もやらないんだから。まったく、当初の

当番制はどうなったんだか」

「んふー。おねーちゃんみたい」

「それは、あまり褒められている気がしないな。武士としてというよりは、
     かよう
男子として斯様なことに慣れているというのも、なんというか……」

「おとーさんもおうちのことはダメダメだった。おしごともよく

抜けだしてた」

「父上、か」

「ん。薬草と毒草をまちがえておどったりしてた。そゆとこはトラに

にてる」

「あのな……」

 色々と言いたいことはあったのだが、ガチャタラを撫でて上機嫌に

なっているアルルゥを見ると、そんな思いも消えていた。

 姉や父のことを語る時、アルルゥは本当に幸せそうな笑顔を見せる。

トゥスクルが近づいているからだろうか。このところ、そんな機会が

増えていた。その分、いたずらの回数は減っていたので、某としては

二重の意味でありがたい。応じる言葉も自然と柔らかくなっていた。

「アルルゥは父上によく似ているんだな」

「んー? なんで?」

「ぐうたらな所なんかは聞いてる限りそっくりだ」

「……むー」

 少しからかってやると、アルルゥは頬を膨らませた。幼げな顔立ちが

ますます子供っぽさを増す。

「アルルゥぐーたらじゃない。おとーさんも、ちゃんとおしごと

してた」

「さっきと言ってることが違うじゃないか」

「ちがわないー。おとーさん、ちゃんと働いてた。ダメだった畑で

モロロ作れるようにしたし、たくさんの人のためにって新しい畑も

つくった。キママゥだってやっつけたし、鉄だってつくった」

「ア、アルルゥ?」

 向けてくる抗議の態度も、なんとも幼いものだったのだが、なにか、

妙な迫力があった。
 オゥルォ
「皇になってからもいっぱい働いてた。新しい食べ物たくさん

できるようにしたし、山賊とか盗賊とかもやっつけた。法律とかも

色々かんがえたし、きちんとみんなに伝わるようにした。ほかの

トコとも仲よくしようってがんばってたし、みんながちゃんと

ゴハン食べられるようにしたし、こどもたちがさみしくないように

おうちもつくった。お酒とかおつまみもつくった。あと……」

「わ、わかっている。ちょっとした冗談だ。一国の主となった方なの

だろう? 並みの才覚でないことは十分に知っている」

 のしかかってきそうな言葉の重さを、某はかろうじて逸らした。

面識こそないものの、ハクオロ皇の人となりは旅の道中にアルルゥや

カミュからたっぷりと聞かされていた。質実剛健にして理路整然。

その姿勢は政ばかりでなく、軍の指揮においても変わらなかったと

いう。時に奇抜な采を振るうも、過程と結果を改めてみれば、

すべてが皇の思惑通りであったという。里の師範たちがしきりに

感嘆していたのは某もよく覚えている。

 なにより、あのトウカ姉が選んだお方なのだ。エヴェンクルガの

主たる者が、真に不精であるわけがない。

 それはよくわかっているというのに、アルルゥの勢いはとまらな

かった。

「ちがうー。おとーさんはおとーさんだからえらい。おとーさん、

いっぱい蜂の巣とってくれた。アルルゥが木から下りられなくなった

ときもすぐにたすけてくれた。いっぱい遊んでくれたし、おんぶして

くれたし、一緒に寝てくれた」

「ち、父親としても、素晴らしい方だったんだな、うん」

「ん……。おとーさん、そのころのほうが楽しそうだった。ほんとうは、
オゥルォ
皇になんかなりたくなかった」

「え?」

 アルルゥは唐突に声の調子を落とした。目に浮かんでいた憤りは

消え、かわりに暗い色を見せている。

「いや、しかし……」

「ヤマユラにいたときの方が、おとーさん幸せそうだった。村の

みんなといっしょにいるの、たのしそうだった。アルルゥと、

おねーちゃんと、おばーちゃんと……」

「アルルゥ……」

 かすれた声は某にではなく自分に向けているかのようで、ぼんやりと

した瞳も外を見てはいない。口にした者たちとの思い出が頭をよぎりでも

したのだろう。

 当然だ。そのために、彼女は安息の地を離れたのだから。

「姉上も、か?」

「……ん」

 抱いたガチャタラを優しく撫で、アルルゥは再び語りだす。

「……ヤマユラにいるときは、おねーちゃんいっつも笑ってた。

たまに怒ったり、泣いたり、つらそうにしてたけど、おとーさんが

来てからはずっと楽しそうだった。おばーちゃんがいなくなっても、

だから、かなしくてもがんばれた……」

 先ほどまでとは打って変わった、物悲しい静かな声。一瞬止まった

手と口に、ガチャタラが不安げに母を見上げる。それを、アルルゥは

ほほ笑みひとつで落ちつかせた。

 それは、子供っぽさなど欠片もない、ひどく大人びた憂いの笑み。

「……みんなのために戦うようになって、アルルゥたちもお手伝い

して。すぐに帰るはずだったのに、いつの間にかたくさんの人が

いっしょになってて。いっしょうけんめいしてたら、おとーさん、

皇さまになってた」

 アルルゥの話を聞き、師範の言葉を思いだした。

――英雄に至る道は二つある。自らが切り拓く道と、天に示された道だ――

 今まで某は心のどこかで、天に選ばれた者に対し羨望を覚えていた。

才のない自分にとって、それはまさしく賜り物に思えたからだ。

 まったく、なんと幼く愚かな解釈だろう。

 選ばれた者には責任が生まれる。それを望んでいなくとも、

果たさなければならない責任が。

 その力をもってすれば我を通すことはたやすい。だが、ハクオロ皇は

天に示された道を己の道として受け入れたのだ。自分のささやかな

幸せに目をつぶり、より大切なものの幸せのために。

 そうでなければトウカ姉が主と認めるはずがない。その気高き心こそを

エヴェンクルガは求めるのだから。己を一振りの剣とする、揺るぎない

理由がそこにある。

 アルルゥの話はとても大切なことを教えてくれた。

「おねーちゃんも、おとーさんといっしょにがんばった。ユズちーや

カミュっちとともだちになって、みんなといっしょにいるように

なって、いっぱいゴハンたべられるようになって、おねーちゃんも

おしごと忙しくなったけど、とっても楽しそうだった。

 ……けど、やっぱり、おとーさんとヤマユラにいるときが、

いちばん幸せそうだった」

 某たちエヴェンクルガが主と認める方々は例外なく強者だ。自らを

犠牲にしてでも護るべきものを護ろうとする、強い信念の持ち主である。

 某たちは主の剣となり、その信念に従うことを誇りとする。たとえ

命つき果てようと、最後の瞬間まで主の信念を守らなければならない。

 しかし、それで良しとしてはならないのだ。エヴェンクルガは主に

命を捧げ、それで満足してはならない。真の敵は外でなく、心の内に

こそ潜むもの。主が犠牲とする幸せを守ることこそが、エヴェンクルガの

真の務めではないだろうか。

 アルルゥの語った姉上の話に、そんなことを考えた。一寒村の

薬師の身で一国をなす者と共に歩むことは、英雄に至る道以上の

苦難をともなったはずだ。

 確かに、思慕の念もあったのだろう。だがその道は、自己の満足を

得るためだけに耐えられるものではなかったはずだ。おそらくは、

英雄の道を進まざるをえなかった男のために、その幸せを少しでも

続けようとしてのこと……。

 世は広いと改めて思い知る。己の未熟を痛感した。剣の腕など

さほどの問題ではない。今の某は根本的に心の在り方が低すぎる。

 それでも、いや、だからだろうか。

 少しだけ、苦難に耐え続けた強い女性の、心の端を感じることが

できた。

「……少し、違うんじゃないかな」

「う?」

 ぽつりと返した一言の意味は、きちんと伝わらなかったのだろう。

アルルゥは沈んでいた表情に軽い怒りを浮かべて迫ってきた。

「ちがわない。おねーちゃん、おとーさんのこと大好きだったっ」

「い、いや、姉上殿がハクオロ皇を慕っていたのはわかった。そう

だったんだと、某も思う。

 でも、姉上殿が幸せだったのは、それだけが理由じゃなかったん

じゃないか?」

「むぅ?」

 顔を突きつけてきたアルルゥをなんとかなだめ、あわてて、しかし

しっかと告げる。

「家族というのは、たんに血がつながっているだけの間柄じゃない。

想う心を力に変えて、想われる実感に心を休める。互いにいたわり、

想い続ける関係こそが、家族の意味であり本質だ」

 前置きの言葉も里で覚えさせられたもの。昨日までは知識でしか

なかったが、今ならば心をこめて語ることができる。

「姉上殿が幸せを感じていたのなら、それはきっと、アルルゥも

一緒だったからだ」

「ふえ……?」

「ハクオロ皇、いや、ハクオロ殿も、同じ気持ちだったんじゃないか? 

家族を守るためだからこそ、男はすべてを投げだせるものだ」

「…………」

 今度はなんとか伝わったようだ。アルルゥは吊り上げていた目を、

元のつぶらに戻していた。軽く息を飲んだ表情も、次第に柔らかさを

とり戻していく。

 浮かべたほほ笑みは先ほどと違い、にじむ喜びをたたえていた。

ほんのり赤く色づいた頬が妙に初々しい。

「トラ……」

「え、ぁ……」

 桜色の唇につぶやかれて今さら意識した。

 突きつけられていた顔が、その、とても近い。

「あ、いや……俺は、その、そう、思うんだ、けど、な……」

「んー……むー……」

 苦労して視線をそらすとアルルゥも一歩を引いた。

 ほっと胸をなでおろそうとしたが、そんな暇もなかった。

「んふぅ。トラも、アルルゥといっしょ、うれしい?」

「なっ?」

 なにをどう思案したのか、楽しげに見上げたアルルゥはそんな

ことを問いかけてきた。赤さの残る表情は元の通りに幼げで、

無邪気そのものに見える。

 毎度毎度、同じような顔でえげつないいたずらをしかけてくるのだが、

わかっていてもこちらの動揺は収まらない。

「なにを? べ、べつに、そういう意味で言ったのではなくて

だな……」

「うー、うれしくない?」

「ちがっ。そ、そうではなくっ。俺は、ただ、その、アルルゥは

笑っているほうが愛らし……あ、いや……」

「んー。……ぉ?」

 だから、アルルゥの小さな驚きも、上に置かれた重い気配にも、

気づくことができなかった。

「ふ、深い意味があるわけではなくてだなっ。その、アルルゥが

元気になってくれればそれでぐゎ!?」

 言葉の途中で頭上から潰された。柔らかい肉の塊と、白く硬い毛の塊。

そして、馬鹿でかく鋭いムティカパの爪に。

『ヴォフ』

「ム、ムックルぅぅ。お、お前は、いつもいつも唐突に……」

「うー、ムックルっ」

『ヴォウ?』

「めっ」

『ヴォフゥ〜』

 アルルゥの、心なしいつもより厳しいお叱りに、ムックルは全身の

毛をしなびさせた。

「い、いいぞアルルゥ。もっとしっかり言ってやヴぇ?」

『ヴォウッ』

 引きかけた足はしかし、左右交互に落とされただけだったが。

「ぐがぁ。や、やめ、ふ、踏みかえす……!?」

「こら、ムックル」

『ヴォヴォウ』

「な”〜〜〜〜〜〜!!」

 結局、某はいつもと同じように悲鳴を響かせるはめになった。

 違いといえば、ささいなことがひとつだけ。

 ムックルを叱るアルルゥの声が、いつもより少しだけ楽しそう

だったぐらいである。

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